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STANLEY

Author:STANLEY
Sex: man
Hobby: Nationality:
Basketball, Travel,
Reading books

Asian American

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U.S(SF, Chicago, NY, Houston),Canada
Mexico,Panama,Paraguay,Argentina
Thailand,Taiwan,Japan,China,India
Australia, New Zealand,Israel

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シカゴから見た宇宙

 メリカの空は広大だが、その先に広がる宇宙は気が遠くなるほど広大無辺だ。

 我々の住む太陽系は銀河系に存在する数々の恒星のひとつで、銀河系そのものも宇宙に存在するといわれる500億もの銀河のひとつに過ぎない。1977年にフロリダ・ケープカナベラルから打ち上げられたボイジャー一号がようやく太陽系の端にまでたどり着いたというが、それにも40年近くかかった。それだけでも画期的なことではあるが、銀河系の直径は約10万光年とも言われるので、ほとんど絶望的なくらいに先が長い。しかも宇宙全体は今でも加速度的に膨張しているというのだから恐ろしい。

 現在、我々人間が認知できる世界は、宇宙の約4%だけで残りは、光を吸収も反射もしない“ダーク”な物質で占めているのだという。光を出さないが重力があるので、存在する事はわかる幽霊のような物質“ダークマター”や宇宙を膨張させる力と言われる“ダークエネルギー”。世界の96%を我々は“見る”こともできない、つまり我々はほとんど何も知らないのだ。

 そんな超現実的なロマンチズムを感じながらシカゴ・アドラーフラネタリウムを出ると、4組ものウェディングドレスを着たカップルが湖沿いで写真を取っているところに遭遇。そう、アドラープラネタリウム前はシカゴダウンタウンが見渡せる人気スポットなのだ。宇宙の片隅でこうやって愛を咲かせているというのも、またシュールな話。

 それでもシカゴの夏は急速に遠ざかっていく。

Adler Planetarium
Chicago・Adler Planetarium

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ごあいさつ

 大晦日から新年の2日まで、ひたすら雪が振り続けた。一面の銀世界といいたいところだが、現実はそう甘くもなく、どんよりとした灰色の空の下、ときおり身を切りつけるような寒風が轟々と吹き抜け、どこか遠くからは自動車事故だろうか、救急車のサイレンが幽かに聞こえてくる。それもまた雪に吸い込まれるようにして消えてゆき、やがてまた、いつもの静寂と冷気が降りてくる。おかげで、年末年始はどこに行くでもなく、ただぼんやりと時折窓の外を眺めるほか何もしなかった。
 何もしなかったといっても、読書と最低限の買い物はした。日本と違い、1日はどこのお店も閉まってしまうので、事前に買い物を済まさなければ、正月を腹を空かせて過ごす羽目になる。日本食料品店に寿司でも買いに行こうかと思ったが、この雪で遠出は気が滅入るので、妥協して近場の韓国食料品店へ。なんちゃって寿司を購入。フィラデルフィアロールとか。
 日本では、クリスマスは恋人と、正月は家族や親戚と一緒に過ごすと相場が決まっているらしい。おかげで、クリスマスの前は、ティーンエイジャーが恋人探しに夢中になるというまた不可解な現象が起きるが、米国では逆である。クリスマスは家族と過ごし、年末年始は新年のカウントダウンで友人らと酒場かどこかで馬鹿騒ぎをする。ネイビーピアあたりでは大々的に深夜まで馬鹿騒ぎをしていて、たいてい氷結したミシガン湖やらシカゴリバーやらを歩いて渡ろうという気ちがいが数人出没するらしい。そして川に落ちて救急隊が出動、寒さに震え上がった若者たちはようやく我に帰るというわけだ。
 そんな日米の違いを考えると、やっぱり商業主義の作り上げた「幸せな祝日の過ごし方」に准じて、みんな幸福を逃さないよう必死になっているだけなのだなあ、などと暖房の聞いた部屋でぬくぬくと思いながら、なんだか虚しくもなり、それでもフィラデルフィアロールを齧りながら、来たるべく一年、私は何をすべきかとちょっと真剣になる。

しらゆき


慟哭

 恋の話をしようと思う。冷静になって考えてみれば、滑稽の極みで、しかしやっている本人にとっては大真面目。美しく、残酷で、不条理な恋。こんな問題のために、時に人は泣いたり喚いたり、時には自殺したりする。

 わが友人・カミルは、実に律儀な男だった。もっと言えば、計画的で、礼儀正しく、曲がった事柄を嫌う人間であった。決して陰気というわけではないが、どちらかと言えば物静かで、リスクとメリットを考慮したうえでないと行動に移さない、慎重な人間であったといえる。いくらかの不幸が重なったため、金銭的にはとても楽とはいえない生活を営んでいたが、真面目さと礼儀正しさから、周囲の評判は概して良かったし、私も、彼のことをそれなりに尊敬していた。ある日、一人暮らしするには大きすぎるアパートで暮らしていた私は、部屋のひとつを彼に提供することにした。十分とはいえない収入で簡素に暮らしている友人を、少しでも援助できればという心遣いでもあった。そんな彼が、恋をした。
 青年カミルがその女性と、どこでどのように出会ったのか、詳しい言及は避けようと思う。たいして重要な事ではないし、本人の断定を防ぐためでもある。ただここでは、アメリカ南部の田舎町に住む、比較的裕福な家庭の娘とだけ言っておく。その娘の年齢は20。独断で言えば、小柄ながらも非常に美しかったし、都会娘のような気取ったところのない素直そうな女性であったと思う。
 カミルの態度、話ぶりから、私は彼がその女性に恋心を抱いていることをすぐに見抜いた。私自身の人間観察力が優れているというわけではなく、本来、どんな人間にとっても恋心を隠すというのは困難なものであるということを物語っているに過ぎない。少なくとも私はそう思う。私は言った。
 「綺麗な子だね。」
 「ああ、そうだね。」
 「君、あの子のこと好きだろ。」
 「さあ、」
  

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読書の記録

 読書の秋という事で、ここ一ヶ月、いろいろ本を読んだので一言感想を書く。学生のときはよく本を読んだものだが、ここ数年は数ヶ月に一冊という読書量であったことは、ちと反省。

1.雪国 川端康成
 非常に精錬された文章。が、読み終わって、結局だからなんなの?という感じがしなくもない。情景描写が美しく、これから文章を書く上で勉強にはなる。川端氏はノーベル文学賞受賞者らしい。どのあたりが、評価されたのだろう。

2.斜陽 太宰治
 太宰治は、わりと好きで、小学生のときに「人間失格」を読んでわくわくした記憶が残っている。とんでもない小学生だ。太宰治は、もう著作権が切れているので、インターネットの青空文庫でも、かなりの作品が無料で読める。斜陽は、川端氏の「雪国」とは打って変わって、随分平易な文章。それでも、心に残るかっこいい一文が多いのが、太宰の魅力。
「人間は恋と革命のために生まれてきた」
「とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。」

3.金閣寺 三島由紀夫
 戦後20年も経ってから、また戦争の真似事をやって、腹切って死んだ男の小説など読んでやるものか、と思っていたが、近頃は、文豪文豪と騒ぐ人間がかなりの数いるので買って読んでみた。たくさん批判してやるのだ、と読む前は息巻いていたが、読んでみたら、すごかった。さすが、である。きちんと伏線も張ってあるし、心理描写も情景描写にも感嘆した。三島氏の語彙力がおびただしい。

4.三四郎 夏目漱石
 所謂、日本の代表的な文豪。小さな頃、「我輩は猫である」「ぼっちゃん」、10代で「こころ」を読んだが、大人になって読めば、夏目文学にもまた何か新しい発見があるかと期待して読み始める。熊本から上京してきた23歳の青年・三四郎の物語。かなり読み進めるまで、物語がどういう方向に進展していくのかよくわからない。青春文学という分類になっているが、青春というほどの青春も甘酸っぱさも苦悩もない。一体、夏目は何を狙ってこの小説を書いたのか不思議。

 現在、アルベルト・カミュの「ペスト」を読み途中。同作家の「異邦人」が、かなりのお気に入りなので期待。考えてみれば、小さい頃は、ドフトエフスキーとかゲーテとかジャック・ロンドンとか外国文学ばかり読んでいて、日本文学に触れる事があまりなかった。これからは、もう少し積極的に読んでいこうと思う。

 最近、シカゴにも紀伊国屋がオープンした。様々な受賞歴で彩られた新人作家の小説で賑わっているけれど、思想のないエンターテイメント作品は読む気が起こらない。夏目漱石が小説をはじめて書いたのは、40ちかくなってからだった。菊池寛は25歳になるまで小説など書くな、と言った。たしかに、人生経験もなく、哲学も宗教も持たない若造が小説など書いても仕方ないのかもしれない。


Kへ

 拝啓。突然のお便り、失礼申し上げます。久しぶりですね、お元気でしょうか。何やら風の便りで、色んなことを聞きました。紆余曲折あったそうですが、無事、大学院を卒業し就職もできたというのだから、嬉しい限りです。学問は、学問で結構ですが、やっぱり定職があったほうがいい。大きな会社で、給料が高ければなお良い。私のほうは、この通り、いまだに学者ぶって壁に生えた苔のような貧乏生活をしております。

 さて、こうして手紙を書いたのは、他でもないAのことです。学生のときは、3人でよく騒いだものですね。当時は、「家庭」という言葉が最も似合わない男ではありましたが、卒業後、一番初めに結婚したのがあいつでしたから、結婚式の日には随分冷やかしてやりましたね。結婚したらしたで、色々と大変なことも多かったと聞きますが、それから約一年、とうとう伴侶が身ごもったそうです。妊娠3ヶ月。我が家から、数マイルの距離ですから、先日ふらりとAの家に立ち寄りました。奥さんのお腹、うっすら大きくなり始めているんです。あと、一ヶ月もすれば、男の子か女の子か察しがつくそうで、科学の進歩に、また甚く感心しました。

 Aのやつも、とうとう父親です。昔と変わらず、幾分か猫背になってへらへらとだらしなく笑って、実に幸せそうでした。突然、きりりと口をへの字に曲げて、「僕も、もう父親になるのだから、手前の命はしっかり守らなきゃならん」とか、変に真面目なことを言ったと思えば、また次の瞬間には、もとの通りへらへらとだらしなく笑って、幸せが体全体から染み出してくるようでした。私のほうも、「是非、妻子をこれからも大切にしてやってくれ。」と、また背中が痒くなるような台詞を吐いて、自分でも恥ずかしいくらいです。それから、新しい子供のために、何か必要なものがあれば遠慮なく言ってくれ、あれば私とKで何とかするからと、また無責任な事を言った次第であります。

 いえ、何もお金を融通しろとか言うのではありません。まったく、そんなつもりはないんです。ただ、どうも心配なのです。というのは、生まれてきた赤ん坊を見て、どんな顔をすれば良いのか、わからないのです。ただ、にこりと笑って、「かわいい子だね、おめでとう」と言えばいい、などと思うのでしょうが、そう簡単な事ではないのです。私は、このかた自分が生まれておめでたいなどと思ったことがない。誕生日なんてくだらないし、生まれてこなければ良かった、そう思うのです。いえ、誰かを責めているとか、怨んでいるとか、そういうつもりはありません。ただ、どうも私は、自分の命に感謝できていないのです。

 何も、今の自分の境遇が不満であるとか、恐ろしく醜悪な過去を引きずっているとか、そういう訳ではありません。どちらかというと、割合幸せな生活を送ってきたのではないかと思っています。けれども、どういう訳か、生きているのが虚しくて仕様がない。そんな感情が、生まれたての赤ん坊の顔を見たときに、ともすると私の表情に現れるのでないかと、戦戦慄慄しているのです。そんな野蛮な感情は、何としても隠さねばならぬ。新たな生の誕生は、常に美しくなければならぬ。そう思います。

 しかしどうして、生きるのが虚しいだなんて感じてしまうのか。それは、最近の自分自身の環境の変化に原因があるようです。病床で死にたくない死にたくないと最後まで呟きながら祖母は死んでゆき、友人のひとりは急死し、先輩は自殺しました。兄は、日に日に人間の尊厳を剥奪されたような堕落した生活に堕ちていっています。デカタンと呼ぶには、あまりにも悲しい。それ以来、私の周りには、ただ虚無の風が吹き荒れています。

 死にたいというより、虚しいのです。出世も、恋も、命も、名声も、何もかも、くだらない。なんだか、冒涜的な響きがしますね。いえ、生きることは美しくなければならぬし、誕生は祝福されるべきものでなければならぬ。老後の自己弁解のためにも、少しは苦労もせねばならぬ。でもやっぱり・・・。

 生きるのは、くだらない。
 でも、死ぬのはもっとくだらない。

 それでも、生きねばならぬ。

 敬具

テーマ:物書きのひとりごと
ジャンル:小説・文学

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